11/03/19: 東北地方太平洋沖地震・南陽市でも影響「
国内観測史上最大のマグニチュード9、最大震度7を記録した「東北地方太平洋沖地震」は発生から一週間を経てもなお被災地では地獄絵図さながらの厳しい現実が続いているが、被害は少なかったものの、南陽市内でも、男性一人が逃げ出す際に骨折する重傷を負ったほか、作業小屋の全壊等の被害が相次いだ。市内では、11日午後2時48分に市消防署の地震計が震度5弱を記録したのを最大に、13日午前8時25分までの間に震度3以上を三十四回記録した。
市内で第一波を感じたのは11日午後2時47分頃で、同地震計は震度4を記録していた。またその一分後の同48分には、今回の地震で最大となる震度5弱の揺れが押し寄せ、市は、庁内にいた市民と職員に避難を呼び掛けたが、市庁舎の天井板は方々で崩れ落ち、四階では、ロッカーや書架等が倒れて廊下をふさぎ、市民や職員も、立っておれない揺れの中、青ざめた顔で屋外に避難するだけで精一杯の様子だった。地震発生を受け市は、午後3時20分に塩田市長を本部長とする災害対策本部を設置した。
揺れはその後も続き、市消防署の地震計は、地震発生から13日午前8時25分までの間に震度5弱を二回、また震度3以上では合わせて三十四回を記録していた。
市危機管理室がまとめた市内の地震被害によると、人的被害は一件で、逃げようとした男性に崩れ落ちてきた門柱の笠石が当たって骨折した。
住宅被害は一部破損が一件だったが、非住宅では、作業小屋等全壊が七件、半壊三件、一部破損十五件となった。また構築物等の被害は二十件で、道路等は十ヵ所で陥没、隆起した。俎柳では、神社の石の鳥居が崩落した。 市民生活に大きな影響を与えたのは停電で、市簡易水道のポンプ場が稼働しなくなって小滝、元中山地区などで断水となり、市は給水袋を配布するなどして対応した。 また地震発生から続いていた停電は、二晩目に入る12日午後7時11分までに市内全世帯で復旧したが、大型店等にはインスタント食品や冷凍食品等を求める市民らが殺到し、販売ケースは空っぽ状態になっていた。
このほか、市は防災センターに避難所を設けたが、11日夜には県外者も含む二十二人が自主避難し、12日にも同二十六人が避難した。
市内で第一波を感じたのは11日午後2時47分頃で、同地震計は震度4を記録していた。またその一分後の同48分には、今回の地震で最大となる震度5弱の揺れが押し寄せ、市は、庁内にいた市民と職員に避難を呼び掛けたが、市庁舎の天井板は方々で崩れ落ち、四階では、ロッカーや書架等が倒れて廊下をふさぎ、市民や職員も、立っておれない揺れの中、青ざめた顔で屋外に避難するだけで精一杯の様子だった。地震発生を受け市は、午後3時20分に塩田市長を本部長とする災害対策本部を設置した。
揺れはその後も続き、市消防署の地震計は、地震発生から13日午前8時25分までの間に震度5弱を二回、また震度3以上では合わせて三十四回を記録していた。
市危機管理室がまとめた市内の地震被害によると、人的被害は一件で、逃げようとした男性に崩れ落ちてきた門柱の笠石が当たって骨折した。
住宅被害は一部破損が一件だったが、非住宅では、作業小屋等全壊が七件、半壊三件、一部破損十五件となった。また構築物等の被害は二十件で、道路等は十ヵ所で陥没、隆起した。俎柳では、神社の石の鳥居が崩落した。 市民生活に大きな影響を与えたのは停電で、市簡易水道のポンプ場が稼働しなくなって小滝、元中山地区などで断水となり、市は給水袋を配布するなどして対応した。 また地震発生から続いていた停電は、二晩目に入る12日午後7時11分までに市内全世帯で復旧したが、大型店等にはインスタント食品や冷凍食品等を求める市民らが殺到し、販売ケースは空っぽ状態になっていた。
このほか、市は防災センターに避難所を設けたが、11日夜には県外者も含む二十二人が自主避難し、12日にも同二十六人が避難した。
CCIE が書きました: